アーサー・ケイがやってくるヤアヤアヤア | プラスチックヘッドクロージング|PLASTIC HEAD CLOTHING | オーダースーツ モッズスーツ UKファッションの専門店

2019年5月20日(月)を持ちましてプラスチックヘッドクロージングは閉店致します。
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アーサー・ケイがやってくるヤアヤアヤア

2018年11月22日

明日とうとうアーサー・ケイが20年振りに大阪へやってきます。以前にアーサー・ケイの事を書き込みしまして、最後にJUDGE DREADの・・・続く、なんて書き込みしておきながら、そのままにしてたら、顧客さんにブログの続きまだっ?って言われたので、イベント前日になってギリギリちょこっと追加で書き込んでみます。

個人的に大好きなアーティストでJUDGE DREAD(ジャッジ・ドレッド)というイギリス人としてはスカ&レゲエのパイオニア的シンガーがいるのですが、そのジャッジ・ドレッドが今から20年前の1998年の3月に、英国カンタベリーでのライブ終了後に心臓発作でお亡くなりになられました。

ジャッジ・ドレッドはTROJAN RECORDS所属では初の白人シンガーであり、1970年代の英国ではなんとボブ・マーレーよりもレゲエのヒットチャートは多く、更に白人のシンガーではジャマイカで初のヒットチャートを記録しているんですが、英国ではその殆どの曲が放送禁止になってるんですよ(ジャッジ・ドレッドの事を書き出すと止まらないのでまた機会があれば次回・・・あるかもね?)

そのジャッジ・ドレッド最後のライブ演奏時にバックバンドを務めていたのが、当時アーサー・ケイが率いていたArthur Kay & The Originalsだったんです。

90年代から2000年前半までよく商品を買い付けしに毎年イギリスに行っていた時期だったので、タイミング良ければジャッジ・ドレッドのライブを観たいと思っていたものです(1998年の2月も渡英していたんですよ・・・)

毎年よくロンドンに買い付けに行っていたお陰で、SKIN DEEPというOi&SKAバンドで活動していたMik Whitnall(当時は100MENろ言うスキンヘッドレゲエのバンドで活動していた)と言うナイスガイ(当時ロンドンではちょっとした有名なスキンズ)と仲良くなり、プラスチックヘッド企画のイベントで京都メトロに出演して貰う事になったのが1998年の5月でした。

余談ですがミックはその後、リバティーンズというバンドで活動していたピート・ドハーティが結成したバンド、ベイビーシャンブルズにギターで加入して、レディングフェスやグラストンベリーフェスなど15万〜18万人位集まる凄いフェスにも出演する有名なミュージシャンなっております。

1998年の5月にミックが来日した時の話に戻しまして、ミックが京都に来た時に、今は既にないのですが、当時の親友である川田くんが経営していた創作居酒屋ぞう、と言うみせで、ミックに過去に対バンしたミュージシャンはどんなバンドかと話を聞いたら、SKIN DEEP時代(スコットランドのSKIN DEEPとは別バンド)ならはBUSINESS、VICIOUS RUMOURS、LAUREL AITKIN、DELTONES、LOAFERSと名前が上がり、そして100MEN時代にはBAD MANNERS、DESMOND DECKER、PRINCE BUSTER、SELECTER、TROJANS、POTATO5、SPECIAL BEAT、LAMBRETTAS、そしてそしてJUDGE DEADの名前も出て来ました。なぜこんなに覚えているかと言うと、この時ミックに対バンしたリストを手書きで書いて貰ったんですよね(これがそのメモ)

しかし1998年以前だけでこの対バンのメンツ、凄いですね(プリンス・バスター、ローレル・エイトキン、デスモンド・デッカーというスカ・レジェンドとはもう対バン出来ないですから)

ミックにジャッジ・ドレッドの事を質問したら、なんとミックから「実は二ヶ月前にジャッジ・ドレッドはライブ直後にお亡くなりになった」と言う報告を受け、まだパソコンなんて持ってなかった時代なので当然ジャッジ・ドレッドが亡くなっていた事に驚ました。

それから同じ年の数ヶ月後に(何月か覚えてないのですが、寒かったので秋位)THE WARRIORSのメンバーとしてアーサー・ケイが大阪と京都へやって来たのですが、実はその当時はアーサー・ケイがジャッジ・ドレッドのバックバンドをやっていた事を知らなかったので、アーサー・ケイに「ギャズとな仲良いんすか?」なんてどうでもいい質問しておりました・・・その後にその事実を知り、あの時にジャッジ・ドレッドの事を質問しておきたかったなって言う思いがあります。

一曲のみですがJUDGE DREAD With Arthur Kay & The OriginalsでシマリップのSKINHEAD MOON STOMPのカバー曲で出してるんですが、サンダーバードのテーマから始まるとってもカッコいいバージョンに仕上がってます。↓これ私物のCDなんですが、ドレッドとアーサーの微笑ましいツーショット写真も入っているJUDGE DREAD’s BIG TINに収録されてます。

ジャッジ・ドレッドとミックの話がメインみたいになってしまいましたので、ちょっとアーサー・ケイで調べてみました。

元々は1965年に結成したモッズバンドThe Next Collectionの二代目ベーシストで参加したそうですが、1965年結成ってあのSMALL FACESと結成時期は一緒の頃で、しかも同じ地域の出身なので、何かしらスティーブ・マリオットとの交流があったみたいです。

The Next Collectionが活動しだした時期が、元祖スキンヘッズのバンドSLADEの前身バンドであるThe N’Betweens(結成は1966年で)や、元祖パブロックのバンドBrinsley Schwarzのニック・ロウが最初に結成したサイケバンドKIPPINGTON LODGE(がデビューしたのは1966年なので)などのバンドとも同時期に活動していので、もしかしたら交流はあるかもですね?(詳細は不明です)

オリジナルのモッズ&スキンズであるアーサー・ケイは1948年生まれで現在70歳だそうです。

2TONE SKA (リバイバル・スカ)ブームの時に活躍したアーティスト達、サッグス1961年生まれ、チャス・スマッシュ1959年生まれ、テリーホール1959生まれ、ジェリーダマーズ1955生まれと、アーサー・ケイは一つ前の世代になるのですが、全然違和感なく2TONE SKAやOi PUNKというストリート・ミュージックを追求し続けたリアルなワーキングクラスのヒーローでしょう(ニックロウ1949年生まれなのでニックロウより一つ上です)↓これ私物の7インチレコード4枚の画像。

先日お亡くなりになったチャス&デイブのチャス・ボッジスと知り合いかアーサー・ケイに聞いてみよっかな・・・しかしチャスはサポーターソングもやってるバリバリのトッテナムのサポーターやからな・・・

では明日、そんなレジェンドが大阪へやって来ます。お時間ある方は是非アーサー・ケイのライブへ足を運んでみて下さい。

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